本能:人間のあらゆる行動は「無条件反射」を基礎(土台)として、環
境や学習等によって築き上げられたもので、その後天的なものを
「条件反射」というのである。
・無条件反射(先天的)・・・本能(生まれつきの本姓で、脳科学
では反射と呼んでいる)
食欲、性欲、集団欲、睡眠欲、闘争本能、模倣本能、探求本能
等、無数にある。
・条件反射(後天的)・・・無条件反射を土台にして環境、学習等
による後天的取得
所有欲、感情、暴力(同種間)、その他の後天的に取得した行
動様式等をいう。
現代の脳科学では人間の生命活動を次のように説明しています。
(『』内、「脳」千葉康則より抜粋)
『人間の生命活動は、無条件反射(本能・本性)と、それを基礎
とした条件反射ですべて機能しているのであって、この条件反射
が人間の学習や個性や習慣の獲得、環境への順応等の、脳機
能の成長に関するあらゆる現象の基礎をなしている』
というのです。そしてまた、
『その生命活動は固体としても種属としても生存し続ける方向
性を持っており、無数の可能性の中から、その方向性に適した
選択がなされるものだ』
とされます。この生存の方向性と選択性こそ、「生命の特質」その
ものであり、それが「脳のダイナミズム」(先述)の中に見出される可
能性を指摘しています。
脳科学では、脳は刺激と反応からあらゆる現象を捉え、反射理論
として説明されます。しかしその現象の背景にある生存の方向性や
選択性という生命の特質は、「脳のダイナミズム」に隠されている
というのです。これは未だ科学の解き明かすものではありません。
ここから先は形而上学の範疇に入るでしょう。しかし、敢えて語り
ます。
事実は実証を求めます。実証できない事柄は科学としては扱いま
せん。故に哲学の出る幕なのかも知れません。しかし哲学にしても
論理的に説明できない事柄は神秘主義として敬遠します。
なぜ科学や哲学が「魂」の問題を扱わないのかは、科学や論理が
不完全だからです。科学や論理は言語の世界です。「魂」の問題は
その言語を超えた世界だからです。
確かに言語を超えた世界は存在するのです。科学や哲学が解明
できないからといって、その世界を無視することは真理を見過ごすこ
とに他なりません。
真理は言語道断といいました。脳のメカニズムは現象として現われ
ているものです。しかしその背後のものは現象としても掴めないもの
です。だからそれを記述することは科学も言語も妥当しないのです。
しかしながら、言語で記述できない感覚世界を、どうして言語だ
けで理解できるのでしょう。また実証を言語(科学)に限定するこ
とこそ、世界の理解が狭められることになります。現実世界は、言
語だけでは記述できない世界が確かにあるのです。仏教の「空」な
どはその良い例です。
感覚世界は個人的主観の世界といえます。客観世界を記述するの
が科学や論理の世界です。だからといって、それがすべてではない
のは自明の理です。
例えば、私は私である。「われ思う、故にわれあり」といったデカル
トの言葉に象徴される主観の世界は紛れもない現実の世界です。こ
れを形而上学として葬れば、私という自我の世界は成り立ちません。
私という主観の世界があるからこそ世界の認識ができ、人間としての
思考の世界が成立するのですから・・・。
仏教は内的世界を探求するものです。心を観る方法論を説いてい
るのです。魂も然りです。自己の内部を観察し、そこから真の自己
(魂の真実)を求める世界観なのです。
次項は仏教の世界観をみていくことにしましょう。
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