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1−14 『思惟の停止』

理性:理性の反省についての方法論として、「思惟の停止」ということ

  を述べられましたが、そのことを具体的に説明していただけないで

  しょうか。


本能:理性をより良くする為の方法として、「思惟の停止」を説明しま

  しょう。

   理性といえども、その思考は相対を離れられません。一方を肩入

  れする相対の世界観は、既に限界を示しています。相対でない価値

  観、つまり絶対の価値観を見つけ出すには、思考を一時的に放棄す

  ることです。それが「思惟の停止」なのです。

   この思惟の停止は、思考を停止することによって、還って思考を

  止揚するという反作用が起こります。結果として、相対分別を離れ

  無分別(絶対)へ向かうことになります。

   以下に、その方法を述べていきたいと思います。


理性:思惟の停止によって理性がより向上するということですね。それ

  は素晴らしいことだと思います。理性が真に正しい方向へ向かうこ

  とは全人類、否、全生命の願いですから・・・。


本能:「思惟の停止」は大きく分けて二つのものがあります。

   一つは、理性を徹底して反省し、深い内省をしていく中で、相対

  の判断を停止するものです。今一つは、瞑想であり、仏教では「禅

  定」といわれる仏道修行の一種です。


   瞑想や禅定等は、日常的には少し無理な方法かと思いますが、形

  や儀礼的なものに拘らなければ、十分に日常でも行えるものです。

  白隠禅師は病に伏せての横臥禅を開発して有名ですし、ソクラテス

  も神殿の柱にもたれながら瞑想したという話もあります。

  何れにせよ、瞑想は思考を沈静化して自己の心の奥を観照するこ

  とだということです。感覚を通して直感的な認識を得ることを目指

  します。言い換えるなら「真の自己(魂の真実)」を観ることに尽

  きるのです。


   理性の反省や内省は、思考を正すという意味で、価値観を伴いま

  すので、本質的には禅定などとは異なります。目的は相対を離れ、

  絶対の価値観(上述)を得ることですが、それには先ず好悪の念を

  極力排除することに専心しなければなりません。そこからがスター

  トとなります。


   上記の二つの方法は、それぞれ異なります。

   瞑想は、日常の思考を避けて内的な感覚に重きを置く方法であり、

  理性の内省は、相対の価値観(好悪)を外し、純粋な理性(思考)

  を目指すものです。

   互いに異なる方法ではありますが、目指すところは同じです。究

  極は、真に正しい思考、つまり、絶対の価値観(空)を体得するこ

  となのですから・・・。


   この二つの方法は、併用すれば互いの方法が互いを促進して、相

  乗効果をあげることになります。しかし、そう簡単な問題ではあり

  ませんが、要は、飽くなき好奇心と達成への情熱如何で不可能を可

  能にできるものだと確信することです。

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