理性:理性の反省についての方法論として、「思惟の停止」ということ
を述べられましたが、そのことを具体的に説明していただけないで
しょうか。
本能:理性をより良くする為の方法として、「思惟の停止」を説明しま
しょう。
理性といえども、その思考は相対を離れられません。一方を肩入
れする相対の世界観は、既に限界を示しています。相対でない価値
観、つまり絶対の価値観を見つけ出すには、思考を一時的に放棄す
ることです。それが「思惟の停止」なのです。
この思惟の停止は、思考を停止することによって、還って思考を
止揚するという反作用が起こります。結果として、相対分別を離れ
無分別(絶対)へ向かうことになります。
以下に、その方法を述べていきたいと思います。
理性:思惟の停止によって理性がより向上するということですね。それ
は素晴らしいことだと思います。理性が真に正しい方向へ向かうこ
とは全人類、否、全生命の願いですから・・・。
本能:「思惟の停止」は大きく分けて二つのものがあります。
一つは、理性を徹底して反省し、深い内省をしていく中で、相対
の判断を停止するものです。今一つは、瞑想であり、仏教では「禅
定」といわれる仏道修行の一種です。
瞑想や禅定等は、日常的には少し無理な方法かと思いますが、形
や儀礼的なものに拘らなければ、十分に日常でも行えるものです。
白隠禅師は病に伏せての横臥禅を開発して有名ですし、ソクラテス
も神殿の柱にもたれながら瞑想したという話もあります。
何れにせよ、瞑想は思考を沈静化して自己の心の奥を観照するこ
とだということです。感覚を通して直感的な認識を得ることを目指
します。言い換えるなら「真の自己(魂の真実)」を観ることに尽
きるのです。
理性の反省や内省は、思考を正すという意味で、価値観を伴いま
すので、本質的には禅定などとは異なります。目的は相対を離れ、
絶対の価値観(上述)を得ることですが、それには先ず好悪の念を
極力排除することに専心しなければなりません。そこからがスター
トとなります。
上記の二つの方法は、それぞれ異なります。
瞑想は、日常の思考を避けて内的な感覚に重きを置く方法であり、
理性の内省は、相対の価値観(好悪)を外し、純粋な理性(思考)
を目指すものです。
互いに異なる方法ではありますが、目指すところは同じです。究
極は、真に正しい思考、つまり、絶対の価値観(空)を体得するこ
となのですから・・・。
この二つの方法は、併用すれば互いの方法が互いを促進して、相
乗効果をあげることになります。しかし、そう簡単な問題ではあり
ませんが、要は、飽くなき好奇心と達成への情熱如何で不可能を可
能にできるものだと確信することです。
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